小学生の頃、こどもの日になると我が家でも鯉のぼりを飾っていたんです。
しかし、その鯉のぼりがベランダに飾る小さいサイズのものだったので、
棒の先まで入れても高さが屋根まで届かなかったんですね。

それで、下校途中の小学生の群れが私の家の前を通りかかったとき、
その鯉のぼりを見て、こんな歌を歌いました。
「屋根よ~り低~い、こいの~ぼ~り~♪」
……
おのれ~、ク○ガ○ども、許さんぞ! ヽ(`⌒´)ノむっき~
ところで、鯉のぼりって、色々謎が多いですよね。
そもそも何のために飾っているんだろうとか、
なぜ”鯉”なのか、
そして、あのカラフルな一番上のやつの正体は一体何なのか?
といったことです。
そこで今回は、鯉のぼりの名前や歴史と起源についてお話していきたいと思います。
鯉のぼりとは?
鯉のぼりとは、紙や布で作った吹き流しに鯉の絵を描いた”のぼり”のことで、
端午の節句である5月5日に向けて庭先に飾られます。
旧暦では、5月5日は梅雨の時期に当たるため、雨が降っている日に鯉の絵を描いたそうです。
3月3日の桃の節句が女の子の誕生と成長を祝う日であるのに対し、
5月5日の端午の節句は、男の子の出世と健康を願う日となっています。
鯉のぼりの名前
次に、鯉のぼりの名前について見ていきましょう。
鯉のぼりは、上から回転球(かご玉)、矢車、吹き流し、真鯉、緋鯉、子鯉からなるのが一般的です。
それぞれの部分の意味は以下の通りです。

・回転球(かご玉) … 神様が降りてくるときの目印になるように飾っています。かご玉は、もともと竹で編んだ丸いかごでした。
・矢車 … 魔除けを表しています。「幸せが四方八方から訪れるように」といった意味も込められています。
・吹き流し … 「一番上のやつ」の正体です。詳細は次の「鯉のぼりの歴史」で解説します。
・真鯉 … 黒色の大きな鯉で「お父さん」に当たります。江戸時代はこの真鯉1匹しか揚げなかったので、真鯉は子供を表すものでした。
・緋鯉 … 赤色の中ぐらいの大きさの鯉で「お母さん」に当たります。
・子鯉 … 青色の小さな鯉で「子供」に当たります。
ところが、「こいのぼり」の歌詞では、
「小さい緋鯉は 子供たち」
となっています。これは一体どういうことでしょうか?
実は、明治時代から昭和30年代まで、鯉のぼりは真鯉と緋鯉の2匹しか揚げなかったんですね。
そのため、真鯉=お父さん、緋鯉=子供達、を表していました。
ところが、昭和39年の東京オリンピックの頃から、鯉のぼりは家族を象徴するものに変化していき、何匹も揚げるようになりました。
こうして緋鯉の意味は、子供から母親へと転じていったのです。
鯉のぼりの歴史
鯉のぼりの歴史は江戸時代にさかのぼります。
当時、武士の家では、男児の立身出世を願い、奥座敷に兜(かぶと)と鎧(よろい)、
玄関にはのぼりを飾っていました。

一方、大きな経済力を持ちながらも身分は低いとされた商人は、武士に対抗するため、
五色の吹き流しを飾るようになりました。
吹き流しが五色である理由は、古代中国の「五行説」に由来しています。
五行説では、あらゆる物が、木・火・土・金・水の5つの要素で構成されていると考えます。
・陰陽五行説の木火土金水と色。七夕の短冊や曜日、惑星との関係は?
やがて、一部の家庭で「龍門」の故事にちなんで、吹き流しに鯉の絵を描くようになり、
これが鯉のぼりの始まりと考えられています。
鯉のぼりの起源
さて、この「龍門」とはどのような話なのでしょうか。
たくさんの魚がその瀧を登ろうとしましたが、鯉だけが登りきり、龍になりました。
めでたし、めでたし。
めでたいかどうかは分かりませんが、この故事が元になって、成功のための難しい関門を、
「登竜門」
と呼ぶようになったそうです。

まとめ
いかがでしたでしょうか。
節分の恵方巻きやひな祭り、そして今回の鯉のぼりと、
日本の伝統行事には古代中国の思想が深く関わっていることが分かります。
最近は、庭付きの家に住んでいる人が減っていることから、
街中で鯉のぼりをあまり見かけなくなってしまいました。
しかし、そのような住宅事情に合わせ、
ベランダなどの小さいスペースでも飾ることのできる鯉のぼりも販売されています。
以下の商品は、1万円を切る人気商品ですので、ベランダサイズの鯉のぼりを
お求めの方は、詳細をご覧になってみてください。
それでは、ご拝読ありがとうございました!
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