国民栄誉賞を辞退した人とその理由。福本豊、イチロー、古関裕而。

2018年の2月に、将棋の羽生善治さんと囲碁の井上裕太さんが国民栄誉賞を受賞しましたね。

将棋や囲碁には「タイトル戦」と呼ばれるトーナメント戦が7つずつあって、

二人はそれらのタイトルを全て独占したことがある実力者です。

その偉大な業績が評価され、今回の受賞に至りました。

将棋タイトル7冠とは?竜王と名人の違いから賞金、序列まで。

ところで、この国民栄誉賞ですが、せっかくノミネートされても辞退してしまう方がいらっしゃいますよね。

そこで今回は、

「国民栄誉賞を辞退した人にはどのような方がいるのか?」

をその理由とともに解説していきたいと思います。

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国民栄誉賞を辞退した人とその理由

福本豊

福本豊さんは、1947年生まれの元プロ野球選手です。

高校卒業後、社会人野球の松下電器(今のパナソニック)に所属し、

そのプレーがスカウトの目に留まって阪急ブレーブス(今のオリックス・バファローズ)にドラフト指名されました。

プロ入り後は、持ち前の俊足を活かし、1970年から1982年まで13年連続で盗塁王を獲得。

1983年には、ルー・ブロックの持っていたMLB*1記録を更新する939盗塁をマークしました。

この功績が認められ、当時の首相であった中曽根康弘から国民栄誉賞の授与を打診されますが、

「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」

という名言を残して辞退しました。

この発言の真意ですが、後日に行われたインタビューで福本さんは、

「王さんのような野球人の手本になれる自信がなかった」
「記録だけでなく、広く国民に敬愛されるような人物でなければいけないと解釈した」
「麻雀やタバコをする自分が受賞し、その後不祥事を起こすと他の受賞者にも迷惑がかかる」

と述べています。

これらの言葉から読み取れることは、国民栄誉賞の受賞は単なる名誉にとどまらず、

その後も日本国民の英雄として、品格を保って生きていく責任が伴うということです。

福本さんは、人々から尊敬されることよりも、自分らしく気楽に生きていくことを選択されたのかもしれませんね。

*1 MLB … Major League Baseball。アメリカの29チームとカナダの1チームからなる世界最高峰のプロ野球リーグ。メジャーリーグ、大リーグ。

イチロー

イチロー(本名は鈴木一朗)さんは、1973年生まれのプロ野球選手です。

高校時代は投手で、打者としての打率も7割以上、二度の甲子園を経験されていますが、いずれも初戦で敗退しています。

しかし、オリックス・ブルーウェーブ(今のオリックス・バファローズ)のスカウトにその天才的なバッティングを見込まれ、

ドラフト4位に指名されました。

オリックス入団後は、1994年に当時の日本プロ野球記録であるシーズン210本安打を達成したり、

阪神淡路大震災が発生した1995年には、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率の打者五冠王に輝き、

チームのリーグ優勝に大きく貢献しました。

2000年には、日本プロ野球歴代2位のシーズン打率.387(1位はバースの.389)を記録し、

メジャーリーグへの挑戦を表明したのです。

メジャーでは、シアトル・マリナーズに所属していたイチロー選手。

その活躍ぶりは周囲の予想をはるかに上回るもので、メジャー1年目の2001年には、

いきなり新人王とMVPの双方に同時に選ばれます。

また、2004年には、ジョージ・ハスラーの持つ記録を84年ぶりに塗り替えるシーズン262安打を達成。

この偉業が評価され、それぞれの年に、当時の小泉内閣から国民栄誉賞の授与の話を持ちかけられました。

しかし、イチロー選手は、

「国民栄誉賞をいただくことは光栄ですが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたいです」(2001年)

「今の段階で国家から表彰を受けると、モチベーションが低下する」(2004年)

といずれも固辞しています。

その胸中を察するに、イチロー選手は、

「自分は現役選手であり、MVPや最多安打といった記録は通過点に過ぎない。自分はまだまだやれるはず」

といった思いを持っていたのでしょう。

それなのに、国から国民栄誉賞を受け取ってしまうと、

「あなたは、立派な記録を打ち立てました。どうもお疲れ様でした」

と言われているようで、さらにその記録を超えていくためのモチベーションが下がるということなのだと思います。

イチロー選手が国民栄誉賞を辞退した理由は、その並々ならぬプロ意識があってこそのことだったのです。

古関裕而

古関裕而

古関裕而(こせきゆうじ、1909-1989)さんは、日本の作曲家です。

音楽好きの父親のもとに生まれ、幼い頃から作曲に親しみます。

高校卒業後は、銀行で働きながら作曲活動を行い、1930年には山田耕筰の推薦でコロムビア専属の作曲家となりました。

戦後は、日本を音楽で明るくする活動に力を入れ、

東京オリンピックの開会式で流れた「オリンピック・マーチ」

全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)のテーマ曲「栄冠は君に輝く」

ラジオドラマ「君の名は」(新海誠さんの作品とは別)の主題歌「君の名は」

といった数々の曲を生み出し、その格調高くて勇ましいメロディーは、多くの人の心を捉えました。

余談になりますが、早稲田大学第一応援歌である「紺碧の空」は個人的にも感慨深いです。

学園祭でこの曲をみんなで合唱するととても盛り上がりますし、

早慶戦で歌う時は、隣の女の子と肩を組むことができます(イヒヒヒ…)。

話が逸れましたが、こうした一連の音楽活動が評価され、古関さんは没後間もない1989年の秋に、

当時の海部内閣から国民栄誉賞の授与を打診されます。

しかし、遺族の方がこれを辞退するのですが、その理由として、

「元気に活動している時ならともかく、亡くなったあとに授与することに意味があるのか」と疑問を持った。

と語っています。

「仮に賞をもらったとしても、すでに本人は亡くなっているのだから、

それを知ることはできないし、喜ぶこともできないだろう」

と遺族の方は考えたのかもしれませんね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

国民栄誉賞を辞退した3人には、それぞれ異なる理由が存在していたことが分かりますね。

これからも、スポーツや芸術・文化といった分野で、国民栄誉賞に輝くような、

素晴らしい記録や作品が生まれることを期待しております。

最後までお読みくださり、ありがとうございました!

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