オリンピックの歴史を年表で解説。日本の夏季(1)

はい、どうも、こんにちは。cueです。

2018年は、韓国の平昌(ピョンチャン)で冬季オリンピック、

そして、2020年には日本で東京オリンピックが開催されるということで、

オリンピックへの関心が高まっている方も多いのではないでしょうか。

そこで今回は、日本オリンピック歴史(夏季大会)を年表でまとめてみました。

この記事を読んで、これまでの歴史を頭に入れておけば、

オリンピックの試合を一層楽しく観戦できることでしょう。

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日本のオリンピックの歴史年表(夏季)

1896年 第1回 アテネ(ギリシャ)

・フランスのクーベルタン男爵が講演で語ったオリンピック復活の構想に対し、世界が賛同して実現した。

クーベルタン男爵
・この頃は、古代オリンピックと同様に女子禁制の大会だった。
・陸上競技トラックは右回りだった。左回りになったのは1912年。
・財政的な事情で、1位銀メダル、2位銅メダル、3位賞状だった。

1900年 第2回 パリ(フランス)

・フランスでは、この年に万国博覧会を開催する予定があったため、オリンピックは万博の一部として開催された。
・メダルの製作が間に合わず、選手に届いたのは2年後だった。
・この大会では、女子選手も参加した。
・綱引き競技が行われたが、「種目が多すぎる」ため、第7回までで廃止された。

オリンピックの綱引き競技

1904年 第3回 セントルイス(アメリカ)

・万国博覧会の一部として開催。
・マラソン選手が、途中で車移動をする不正を行った「キセル・マラソン事件」が発生する。

1908年 第4回 ロンドン(イギリス)

・個人やチーム単位の参加から国別の参加となった。
・金銀銅メダルの表彰が決まる。
・ペンシルバニアのタルボット主教が敵対心の強すぎる各国選手団に「(勝利するより)参加することに意義がある」と説教。

1912年 第5回 ストックホルム(スウェーデン)

・日本がオリンピックに初参加する。
・フランスのクーベルタン男爵の働きかけと、日本人初のオリンピック委員であった柔道家・嘉納治五郎の運動により実現。

嘉納治五郎
・参加した選手は三島弥彦(短距離)と金栗四三(マラソン)の2名。

1916年 第6回 ベルリン(ドイツ)

・1914年に勃発した第一次世界大戦の影響で中止。

1920年 第7回 アントワープ(ベルギー)

・熊谷一弥(テニス男子シングル・銀)と熊谷一弥・柏尾誠一郎ペア(テニス男子ダブルス・銀)が日本初のメダルとなった。
・オリンピック旗が初めて掲揚された。

オリンピック旗のようなもの

1924年 第8回 パリ(フランス)

・大会の運営連絡がメガホンからマイクロホンに代わる。
・初めて選手村が設置される。
・内藤克俊が指をケガしながらも、レスリングで初の銅メダル獲得。
・それまで「約40km」だったマラソンの距離が正式42.195kmに決まる。これは第4回ロンドン大会の距離をそのまま採用したものである。

1928年 第9回 アムステルダム(オランダ)

・織田幹雄(三段跳)、鶴田善行(200m平泳ぎ)が日本人初の金メダルを獲得。

織田幹雄
・日本人女子選手が初参加し、人見絹枝(女子陸上800m・銀)が女子初のメダルを獲得。

1932年 第10回 ロサンゼルス(アメリカ)

・日本が水泳や陸上で大活躍する。
・陸上競技で初めて写真判定装置が登場。
・3段の表彰台が初登場。
・馬術で優勝した西竹一は現地で「バロン西」と呼ばれて親しまれた。それから13年後の硫黄島の戦い(1945年)では、アメリカ軍に「尊敬をもって(降伏を)迎える」と呼びかけられるほどであった。

西竹一

1936年 第11回 ベルリン(ドイツ)

・アドルフ・ヒトラーがオリンピック委員会総裁に就任し、オリンピックをドイツのイメージアップに利用した。
・棒高跳びの決勝で、大江季雄と西田修平の二人が、「日本人同士で争うことはない」と2、3位決定戦を辞退。帰国後、二人は銀と銅のメダルを半分に割り、つなぎ合わせた「友情のメダル」を作った。

友情のメダル
・初めて聖火リレーが行われる。
・前畑秀子(200m平泳ぎ)が日本人女性初の金メダル。NHKアナウンサーの「前畑がんばれ!」の絶叫が伝説となる。

1940年 第12回 東京(日本)

・日中戦争の影響で、日本は大会の開催権を返上した。
・ヘルシンキ(フィンランド)が代替地に決定したが、第二次世界大戦により中止された。

1944年 第13回 ロンドン(イギリス)

・第二次世界大戦が始まり中止

1948年 第14回 ロンドン(イギリス)

・日本とドイツは戦争責任から出場を認められなかった。
・そのため、日本はロンドン大会と同時に全日本水上選手権大会を開催した。
・1500m自由形では、古橋広之進、橋爪四郎の記録が、ロンドン大会の金メダリストの記録を上回り「幻の金メダル」と呼ばれた。

1952年 第15回 ヘルシンキ(フィンランド)

・日本が戦後初めてオリンピックに参加した。
・男子レスリングで石井庄八が日本唯一の金メダルをもたらした。

石井庄八

1956年 第16回 メルボルン(オーストラリア)、ストックホルム(スウェーデン)

・小野喬が鉄棒で体操初の金メダルを獲得。
・オーストラリアの検疫に関する法律の影響で、馬術のみストックホルムで開催され、史上初の2か国による開催となった。

1960年 第17回 ローマ(イタリア)

・日本が男子体操団体総合で初優勝。
・入賞メダルが首掛け式になる。
・エチオピアのアベベが、石畳のコースをはだしで走りぬいて優勝する。

1964年 第18回 東京(日本)

・日本初のオリンピック開催。有色人種の国家でオリンピックが開催されるのも初めてのことだった。
・柔道とバレーボールが正式競技となった。
・柔道で日本は、4階級のうち3階級で金メダルを獲得。
・「回転レシーブ」を駆使した女子バレーボールが金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた。このときのテレビの視聴率は85%に達した。

東洋の魔女

まとめ

いかがでしたでしょうか。

あのヒトラーがオリンピックの委員長をやっていたり、

オリンピックに綱引き競技があったりしたのは驚きですね。

私の母は、リアルタイムで「東洋の魔女」を見ていたそうですが、

優勝した瞬間にみんなが涙を流し、日本中が感動に包まれたそうです。

さて、ここまでの記事がだいぶ長くなってきましたので、続きは次回にしたいと思います。

続編もどうぞお楽しみに!

次の記事 → 日本の夏季オリンピックの歴史を年表で解説(2)

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