私がうつ病を克服した体験談。回復したきっかけとは?(後編)

私が、10年以上前に患った「うつ病」をどのように克服したか、

を語る体験談の後編です。

まだ前編を読んでいない方は、まずこちらをご覧ください。

私がうつ病を克服した体験談。回復したきっかけとは?(前編)

前編では、

・大学生時代、就活と卒論のプレッシャーからうつになったこと。
・睡眠障害を初めとする、様々なうつ病の症状に苦しんだこと。
・インターネット掲示板における患者同士の交流や、うつの原因を生い立ちや性格のせいにすることは回復の役に立たなかったこと。

について述べました。

後編では、いよいよ私がうつ病から回復したきっかけについてお話していきます。

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運命を分けた一瞬

私の症状は日を追うごとに悪化していきました。

一日中、死ぬことしか考えられない、かなり危険な状態です。

よく、

「死ぬだけの覚悟があるなら、何でもできるはず」

といったことを言う人がいますが、それは違うのです。

なぜなら、うつ病の患者にとっては、死ぬことよりも生きていることの方が辛く思えるから。

ある日の大学の帰り道のことです。

学校の最寄り駅のホームに立ち、私は電車を待っていました。

隣の駅からやってくる電車が、徐々に大きく見えてきます。

その時、私の脳裏に、こんな考えが浮かびました。

「あの電車に飛び込めば、楽になれるのかなぁ…」

ホームに入る電車

次の瞬間、

ゴオォォォォォォ…

と勢いよく電車が通り過ぎていきました。

私は、駅のホームの手すりに、しっかりしがみついていました。

自分が線路に身を投げてしまわないように。

「死ぬのは、やっぱり怖い」

そう思いました。

今思えば、ここが運命の分かれ道でした。

次の日。

新聞の朝刊に、一人の大学生が自殺したというニュースが載りました。

「就活が苦になった」

というのがその理由だったそうです。

新聞

皮肉なことに、その学生は私と同じ大学に通っていました。

そして、学生が自らの命を絶った現場も、まさに私が手すりにしがみついた、あのホームだったのです。

「もしかしたら、自分もこうなっていたかもしれない」

そう思いました。

「死ぬのはいつでもできる。だったら何も今すぐ死ぬことないじゃないか」

私は、どんなに苦しくても、生き抜くことを選びました。

回復したきっかけ

精神的に限界を感じていた私は、研究室に赴き、教授に「しばらく休ませてほしい」と伝えました。

(美人かどうかだけで秘書を採用してしまう)優しい教授だったので、

「卒論は焦らなくてもいいから、ゆっくり休みなさい」

と快く承諾してくれました。

うつ病になった人にとって、休息は絶対に必要です。

また、

「『がんばれ』と励ましてはいけない」

とよく言われますが、あれは本当です。

当人からすれば、エネルギーが切れて、頑張りたくても頑張れないのです。

そんな状況で「頑張れ」と言われても、ただ辛いだけです。

ですから、まずはしっかり休めばよいと思います。

ですが、休んでいるだけではダメです。

何らかの行動を起こさない限り、あなたの病気が治ることはありません。

少しずつでよいので、自分が取り組めることから始めてみましょう。

うつ病になったということは、これまでの自分では世間に通用しなくなったことを表します。

したがって、自分にとって、何がうつの原因になっているかを突き止め(生い立ちや性格以外で)、

それを克服していく努力をすることがどうしても必要になります。

私の場合、パソコンが使えないことが、自分に自信の持てない原因になっていたので、

近所の家電量販店に出向き、練習用にパソコンを購入しました。

WordやExcelの本を読み、簡単な文書や表は作れるよう、休みの間に勉強しました。

おかげで、大学に復帰した後、同級生よりもパソコンの操作に詳しくなっていました。

このことは、

「自分が心配するほどのことでもなかったのかな」

という安心感につながりました。

家電量販店

また、心理学の本はうつ病の克服に役立ちました。

本の題名は忘れてしまったのですが、「認知行動療法」の本だったと記憶しています。

自分の自動思考(勝手に浮かぶ考え)を紙に書き出し、様々な角度から考えて、

認知の歪みを修正していく、というトレーニングは特に効果がありました。

母親のことを許すことができたのも大きかったです。

病気になった頃の私は、母親に完璧を求めすぎていました。

「母は家事をしっかりこなすべきだ」
「母は子供に愛情を持って接するべきだ」
「母は子供の自主性を尊重すべきだ」

しかし、母親もまた一人の人間なのです。

機能不全家族の親は、自身もまた、機能不全の家庭で育っていることが多いそうです。

私が完璧な人間になれないのと同じように、母もまた、完璧な母親にはなれないのです。

料理が下手かもしれないし、

子供が嬉しそうにしていても、

「良かったね」

の一言も言えないのかもしれない。

それでも、大変な苦労をして、自分をここまで育ててくれたのです。

それだけでも、ありがたいじゃないかと。

まとめ

以上が、私をうつ病から復活させたきっかけのお話です。

あれから、すでに10年以上の月日が経ちますが、あの時、生きることを選んで本当に良かったと思います。

もし、あの時、この世からいなくなることを選んでいたら、その後の人生で出会った、

・素晴らしい恩師
・自分の仕事で喜んでくれる取引先
・時間を忘れてハマった面白いゲーム
・一緒にデートしてくれた女の子(笑)
・尊敬できる師匠
・ワクワクするようなYouTube動画
・のんびりリラックスした温泉
・地元のレストランの美味しい定食

といった数々の幸せを放棄していたのですから。

うつ病は治る病気です。

だから、今どんなに辛くても、人生を生きることから逃げないでください。

雨の後に虹が出るように、

あなたの心が明るく晴れ渡る日が来ることを

心よりお祈り申し上げます。

草原に架かる虹

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